「SM」と「ソフトSM」の差

 情報化社会の恩恵か性の開放が著しい昨今ですが、SMに対する抵抗感も薄れてきているのかなぁ…と個人的には思っています。
 SMの知識や情報はそれこそインターネットに溢れかえっていますので。
 私がSMを始めた今から10年程前のインターネットには数少ないコアでハードなSM情報しか存在していなくて、それこそマニアの極みみたいな扱いだったのを覚えています。
 私はその頃まだ大学生でしたから、二十歳を迎えて遂に禁断の変態世界に立ち入ってしまったのだと妙に感慨深いものがありましたよ。
 今ではソフトSMというジャンルが認知されて、SMが「マニアの極み」扱いされる事もなくなりましたね。

 そんなソフトSMという存在について少しだけ補足しておきましょう。
 SMの様々なプレイの中でも特に専門的な技術を必要としないプレイのみを手軽に楽しむ、云わばSEXにおける「前戯」の1つです。
 それのみを用いて調教を組み立てる事は困難なので、基本的には各プレイを単体で区切って「ソフトSM」と表現される事が多いですね。
 長年SMと真摯に向き合ってきた諸先輩方には腑に落ちないかと思いますが、最近ではSMと言えば「ソフトSM」の事を指すのが主流になりつつあるのも事実なんですよ。

 さて、ソフトにSMを楽しむというのは「ソフトSM」の名の通りです。
 SMが極小規模の異端性癖であると世間から避けられてきた過去からすれば、ソフトSMが加虐的・被虐的快楽欲求の解放に一役買ったという見方は否定できません。
 ただ、残念なのはSM全体に視野を拡げる事なくプレイ単体で完結してしまうソフトSM特有の手狭さ、浅さです。
 精神的快楽や深い陶酔を得ることなく表面的な性的快楽に限定されてしまう事には虚しさも覚えますよ、やっぱり。
 そこがSMとソフトSMの決定的な差なのかもしれません。

 とは言え、手軽に始められるソフトSMから意欲的に視野を拡げていってSMの世界に踏み込もうとする人達が増えてきたのは喜ばしい事です。
 ソフトSMで自らの加虐的・被虐的な欲求に気が付いたという加虐志望者や被虐志望者も多いのではないでしょうか。
 別にソフトSMが「ソフト」だからといってSMが「ハード」という対比でもないですから、ソフトSMがSM世界の窓口になっている事を大いに歓迎したいものですよね。

「ソフトSM」から「SM」へ

 SMに限らず、何事も皆スタート時点では当然ながら初心者です。
 そこから学習し、経験を得て、実践し、身につけて成長していくものですよね。
 なのでSMにおいても段階というモノが存在するのはおかしくも何ともありません。

 「まずはソフトから」というのは調教の鉄則、至極当然の事です。
 何を以てソフトとみなすのかは加虐者の捉え方次第ですが、この最初期にある「まずはソフトから」をソフトSMに当てはめて考えるというのもアリなんじゃないかなぁと個人的には思っています。
 もちろん「ソフトSM」と「SMにおけるソフト」にはある程度の隔たりが有りますし、調教として成立させる必要があるので多少の知識と経験は求められますけれどね。

 SMの技術が無くてもソフトSMは行えますが、どうせならソフトSMの名を借りて少しずつ技術を身につけてしまうというのも1つの手段でしょう。
 ソフトSMくらいの軽いプレイであれば敢えて身構える必要はないのかもしれませんが、それでもやはり技術があればプレイの幅も拡がるというものですしね。
 特に加虐者の場合、技術は武器でありながら被虐者を守る盾にもなりますから。

 加虐志望・被虐志望問わず、初心者は経験者をパートナーにする事が望ましいと私は思っています。
 でもソフトSMが一定の理解を得られている現在、夫婦や恋人などお互いが初心者であっても共にSMの経験を積んでいく事が出来るのかもしれませんね。
 その場合ソフトSMとSMの壁は「伴侶や恋人に好虐的欲求を全て曝け出せるか」になるでしょう。
 これは非常に高い壁だろうと思いますが、乗り越えれば得られる快楽も大きくなると思いますよ。

 ソフトSMからSMへの転換は決して簡単ではありませんが、足掛かりとしては最高のきっかけになる存在です。
 ソフトSMに物足りなさを覚えるようでしたら是非SMの扉を叩いて頂きたいものですね。


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