好奇心の大切さ

 突然ですが、アナタは自分がSMをしている想像ってした事ありますか?
 このサイトをご覧になっている人は間違いなく想像した事があると思いますし、その想像を更に膨らませたり具現化させたいという欲求があってこのサイトに辿り着いたのだろうとも思います。

 何かしら特定の物事に対して情報に触れたい、もっと知りたい、よりリアルに感じたいと思う…これらは好奇心と呼ばれますよね。
 この好奇心によって得られた知識は脳内イメージ化されて蓄積されます。
 即ち想像という行為は知識の及ぶ範囲内でしかイメージ出来ない空想世界なのです。

 この空想世界は知識が増える事でより広く、より深くなっていきます。
 もちろん空想世界に理性は関知しませんから、自らの欲求の赴くままにその世界を発展させていく事が可能です。
 空想世界を充実させる為に知識をもっと得たくなる、これが好奇心の正体なのです。

 好奇心には必ず欲求が原点にあって、知識を得る事で更に好奇心が強くなっていく…この流れはSMにおいても同じ事です。
 加虐・被虐欲求があって、SMに好奇心を持ちます。
 SMにどんなプレイがあって、どんな快楽が得られるのかを知ればその知識はイメージ化されます。
 自分がSMを体験している想像をすれば、その想像をもっと膨らませたいと思うようになります。
 そうすると更にSMについて詳しく知りたいと思うようになります…。

 このように、例えアナタが直接的に欲求を覚えていなくても、好奇心にカタチを変えて間接的に欲求は表れてしまうものだったりします。
 加虐・被虐欲求というのは普段理性に抑え込まれているものですから、なかなか自覚する事は難しいんですよね。
 それだけにSMに好奇心を見出せる人はその欲求をどこかに潜ませている可能性が高いのです。
 軽い好奇心のつもりかもしれませんが、実はそれは大切な本能欲求なんですよ。

想像の豊かさ

 SMというカテゴリーは物凄く抽象的な枠組みで、実際の調教はお互いの趣向や欲求によって幾つかの性癖を取り込んで形成される、謂わば2人だけの「性のヤミ鍋」みたいなものです。
 プレイがソフトだったりハードだったり、性的快楽重視だったり精神的快楽重視だったり…色々なスタイルがあるのは人それぞれ趣向や欲求が違うからなんです。
 だからこそ主従には「イメージの共有」が必要となります。
 お互いがSMに求めている事を明確にして調教にきちんと反映させよう、という事ですね。

 イメージを共有する為にはSMの世界に数多あるプレイや性癖を知識として持っている必要があります。
 もちろん初心者が予め全ての知識を有しているハズはありませんし、体験して初めて得られる知識もありますから、最初のうちは手探りでイメージを構築していく事になるでしょう。

 私の場合は調教主として初心者の性奴隷には様々なプレイや性癖を調教の初期に一通り見せるようにしています。
 これは性奴隷に「こんなプレイもあるのか」と実感してもらう為でもありますが、「色々なプレイで楽しむ自分の姿」を想像してもらう狙いがあるからです。
 知識を得て、体験して、想像を膨らませていく事で新たな好奇心が生まれてくるものと思います。
 この好奇心こそ欲求であり性的趣向ですから、そこから性奴隷が何を求めているのか判断していくのが調教主である私の役目の1つです。

 いくらインターネットでSMの知識に触れてイメージを抱いたとしても、やはりリアルでないと補完できない部分が必ずあります。
 それはもう実際に体験して得るしかありませんから、私は性奴隷に様々な性のオプションを垣間見せているのです。
 私はただ「性のヤミ鍋」に具材を放り込んでいくだけで、それをどう吸収するかは性奴隷次第です。
 「楽しくなければSMじゃない」というのが私の持論なので、それを育む為にイメージを持たせてあげる事は大切なんですよ。

 最後に。
 SMの醍醐味は、どれだけ完璧な想像をしてもそれを簡単に超越してしまう事です。
 こればかりは体験しないと得られないでしょうが、SMが魅惑の世界だと称される理由はこの点にあるのかもしれませんね。


SMに関する一考察 性奴隷の育て方